衝撃 天孫降臨の舞台は倭国(徳島)

おかず!

衝撃 天孫降臨の舞台は倭国(徳島) 
講師:阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏
日時:2020年11月14日(土曜日)
会場:德島市立考古資料館
所在地: 〒779-3127 徳島県徳島市国府町10-1

古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、
一般に現存する日本最古の歴史書であるとされる。
その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。
江戸時代の国学者・本居宣長の『古事記』全編にわたる全44巻の註釈書では
原文「邪馬臺国」が
邪馬台国に書き直された。「臺」が「台」に

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㐂多八三

神社の由緒より
阿賀太郎坊宮【忍穂耳命】
天照大神が子育てをした神社。
ニニギ命の父神
【臺】は、高い社
【邪馬】は、シャアマァ
神に祈りを捧げる人
【伊】=【邪馬】
サンスクリット語での通訳説。
西暦57年の光武帝に出てくる邪馬壱国は、阿賀太郎坊宮【八日市】と思われるので、【臺】の候補地は、高い社又は高い場所にある神社の推定。
光武帝の話に出て来る【委文】が大山祇神と推測できるのど、光武帝が民間貿易で呉に売りに来た委文の布の話を聞き、都に呼んで、委文布をたいそう喜んで、漢委奴国王を授けた。
この時代、日本は
大山祇神
忍穂耳命
淤美豆奴神
の3柱が【委員会】、輪になり日本を統治していた意味と推定。
天孫降臨にも、高い社の描写があるので、ニニギ命の天孫降臨した場所が邪馬臺国なのかも?

四国は、大山祇神や神孫の小千命が治安を守っていた由緒がある場所。

大山祇神が委文と推察。
大麻【徳島】は、光武帝が喜ばれた2,000年の歴史があるのかも?しれませんね。
【と】は、都の意味
いろは歌より

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